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名古屋地方裁判所 昭和49年(ワ)2809号 判決 1978年10月06日

原告 森英三

<ほか二四名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 冨島照男

同 成田清

同 清水政和

右冨島照男訴訟復代理人弁護士 小島隆治

被告 ヤトウ産業株式会社

右代表者代表取締役 箭頭イウ子

被告 ヤトウ病院こと 箭頭正男

右被告ら訴訟代理人弁護士 土田光保

同 岩瀬三郎

主文

一  被告らは連帯して、原告森英三、同森君子、同棚橋弘、同久村誠一、同久村弘美、同久村八重子、同久村美子、同久村浩彰、同佐藤圭司、同佐藤房代、同佐藤孝宏、同佐藤美穂、同端山静夫、同端山幾子に対して、それぞれ金三三万円及び、右各金員に対する昭和四九年三月一日から各支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

右原告らのその余の請求は棄却する。

二  原告棚橋やよい、同渡辺和雄、同渡辺千代子、同水野林平、同水野ウメノ、同水野行雄、同水野知司、同吉田義孝、同吉田敏子、同吉田凉、同吉田淳の各請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、主文一項記載の各原告と被告らの間に生じたものはこれを全部被告らの負担とし、主文二項記載の各原告と被告らとの間に生じたものは全部右原告らの負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴部分につき、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、

原告森英三に対して金一四三万円、同森君子に対して金七七万円、

同棚橋弘に対して金一八七万円、同棚橋やよいに対して金二二万円、

同久村誠一に対して金一六五万円、同久村弘美、同久村八重子、同久村美子、同久村浩彰に対して各金三三万円、

同渡辺和雄に対して金一一〇万円、同渡辺千代子に対して金一一万円、

同佐藤圭司、同佐藤房代に対して各金三三万円、同佐藤孝宏、同佐藤美穂に対して各金五五万円、

同端山静夫に対して金一一〇万円、同端山幾子に対して金七七万円、

同水野林平、同水野ウメノ、同水野行雄、同水野知司に対して各金一一万円、

同吉田義孝、同吉田敏子、同吉田凉、同吉田淳に対して各金一一万円

及び右の各金員に対する昭和四九年一月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、次のとおり名古屋市守山区大字小幡字西新七五番、七六番の土地の北側に近接した場所に居住している者である。

(一) 原告森英三は、別紙図面(一)の①の木造平家居宅一戸を賃借し(所有者は原告棚橋弘)、その妻原告君子とともに昭和一六年ころから居住している。

(二) 原告棚橋弘は、同図面①②③の居宅を所有し、昭和一九年ころから妻原告やよいとともに③の居宅に居住し、原告弘の母亡つは、昭和四二年ころから②の居宅に居住していた。

なお、右つは、昭和五一年六月二一日死亡し、原告弘が相続によってその地位を承継した。

(三) 原告久村誠一は、昭和三三年ころから同図面④に二階建居宅及びその敷地を所有し、以来その妻原告弘美、母同八重子、長女同美子、長男同浩彰とともに居住している。

(四) 原告渡辺和雄は、昭和二九年ころから同図面⑤⑥の居宅二戸及びその敷地を各所有し、⑤の居宅は原告和雄及びその妻同千代子が自ら居住し、⑥の居宅は、社宅とし原告和雄方従業員の原告佐藤圭司がその妻原告房代、長男同孝宏、長女同美穂とともに居住している。

(五) 原告端山静夫は、昭和一二年ころから同図面⑦の平家建居宅を賃借し、以来同所にその妻原告幾子とともに居住している。

(六) 原告水野林平、同ウメノ、同行雄、同知司は、同図面⑧の居宅に居住し、原告吉田義孝、同敏子、同凉、同淳は、同図面⑨の居宅に居住している。

2  被告ヤトウ産業株式会社(以下、被告ヤトウ産業という。)は、名古屋市守山区大字小幡字西新一〇四番地に本店を有し、不動産業、医療に付帯する事業を目的として設立され、被告箭頭正男、同被告の長男訴外箭頭正顕、その妻である訴外箭頭イウ子らを取締役として、全株式を被告箭頭正男の一族が有する同族会社である。被告箭頭正男は名古屋市守山区大字小幡字西新七五番、同所七六番の土地及びこれに隣接する同所一〇七番の土地を所有し、右三筆の土地及び箭頭正顕の所有する同所一〇五番、被告箭頭正男の次男訴外箭頭基継の所有する同所一〇六番の各土地(右各土地の位置関係は別紙図面(二)のとおりである。)(以下、地番のみを掲記する。)上に被告ヤトウ産業が所有する病院用施設を同会社から賃借し、箭頭正顕とともにヤトウ病院を経営している者である。

3  被告らは、昭和四七年暮ころから、それまで七五番、七六番の土地の北側に所在した木造二階建病舎一棟(以下、旧病舎という。)を取壊し、その跡に鉄筋コンクリート四階建(高さ約一二・九メートル)病舎新階(以下、本件建物という。)の建設を計画し、その建設工事を訴外岐建木材株式会社に請負わせた。

右工事は、昭和四八年二月ころからまず旧病舎の取壊作業が始まり、以後基礎工事、鉄骨組上げ、コンクリート打ち作業の順序で、同年一〇月末日ころまで早朝から深夜にわたり、連日工事を継続し、昭和四九年二月ころ完成し、本件建物のうち西側の建物を被告ヤトウ産業が、東側の建物を被告箭頭正男が各引渡を受けて所有するところとなり、両者は合して被告箭頭正男の経営するヤトウ病院の営業に使用されている。

4  本件建物の建設工事及びその完成の結果次のような事態が発生した。

(一) 工事中における騒音、振動

前記のとおり、本件建物の建築工事は、昭和四八年二月ころから同四九年二月ころまで連日早朝から深夜にわたって継続され、この間原告らはミキサー車、ダンプカー、ポンプ車の走行及びコンクリート打ち作業による騒音、振動により、その平穏な生活を脅やかされた。

(二) 原告ら宅に対する観望

本件建物は、その北側全面に目隠しをほどこさない合成樹脂製の透明窓板を用いたため、原告らの居宅はいずれもヤトウ病院に入院する患者らによって常に観望されるに至った。

(三) テレビ受信障害

本件建物の完成により、原告らの家庭においては、いずれもテレビの受信障害が発生することになった。

(四) 日照の遮断

(1) 原告森英三、同君子宅

原告森英三宅は、従前は南側五畳間において、冬至時午前九時から午後三時ころまでほぼ完全に日照を受けてきた。この五畳間は、同原告方の唯一の南面の部屋であり、居室兼寝室として日常使用している部屋であるが、本件建物の建築により、右開口部は冬至時において午前九時から午後二時すぎに至るまで日影となり、午後二時すぎから午後三時ころまでの時間帯に、わずか一時間に満たない日照が得られるにすぎない。このようにして、同原告宅では一一月ころから一月下旬まで、日照は甚しく妨害されることになった。

(2) 亡棚橋つ宅

亡棚橋つ宅南側五畳の間は、従前は冬至時において、午前一〇時ころと正午ころ、被告が後記二4(四)(1)(2)で主張する旧建物の中央塔屋、煙突等の影が一時通過して日影となる以外は十分な日照を受けることができたが、本件建物の建築により、右開口部は冬至時において午前九時から正午まで日影となり、午前中の日照が完全に失われ、一〇月ころから二月ころまで午前中の日照を甚しく妨害されるに至った。

(3) 原告久村誠一、同弘美、同八重子、同美子、同浩彰宅

原告久村誠一宅においては、従前は冬至時二階六畳間で、午前一〇時から午後三時までの間三回にわたり、旧建物の塔屋等の影が一時通過して日照がさえぎられたが、それ以外に右二階開口部が日影になることはなく、全体として日当りは極めて良好であり、また、一階南側洋間においても、午前一一時から午後二時ころまでの間、二回、右のような影が一時通過するとき以外は、ほぼ完全に日照が得られた。しかるに本件建物の建築により、冬至時には終日一、二階、開口部は本件建物の日影に入り、一階南側洋間においては一〇月から二月ころまで、二階六畳間においては一一月から一月まで、いずれも終日にわたって完全に日照を失うことになった。

(4) 原告佐藤圭司、同房代、同孝宏、同美穂宅

原告佐藤圭司宅は、従前は冬至時、一階南側四畳半の間、二階南側六畳間で、数回、前記のような塔屋の影が一時通過することはあってもほぼ終日良好な日照を得ることができたが、本件建物の建築により、冬至時には終日完全に本件建物の日影が及び、一階開口部は一〇月から二月まで、二階開口部は一一月から一月まで、終日全く日照を失うに至った。

(5) 原告端山静夫、同幾子宅

原告端山静夫宅は、従前は冬至時、一階南側開口部において、午前一〇時から正午までの間に、前記塔屋の影が通過するに伴い、一時日照がないことがあったが、それ以外は日出から午後二時まで程度の差はあっても、概ね良好な日照を得ることができた。ところが本件建物の建築により、冬至時において、午前一〇時から午後二時まで、右開口部は完全に本件建物の日影におゝわれ、一〇月から二月までの間は、一階南西側六畳間は朝方の弱い日照を短時間受けるのみでその後は全く日照を得られない状態となった。

5(一)  ところで、日常生活において、居宅につき平穏、静ひつな生活環境、日照等が確保され、或いはプライバシーが保護されていることは、健康で快適な生活を享受するため必要不可欠の生活利益であって、法的保護に値するものであるから、仮りに被告らにおいて土地の効率的利用の目的により高層建物を建築しようとする場合であっても、近隣住民が居住について有する諸々の生活利益を考慮し、これを侵害しないよう慎重にして周密な計画を樹立し、特に、建築物の配置、構造及び工法についてはもっとも周到な注意を払うべきである。

(二) 本件土地の地域特性は次のとおりである。

原告らが居住している名古屋市守山区大字小幡字西新一帯は、名古屋鉄道瀬戸線(以下、名鉄瀬戸線という。)と千代田街道に囲まれた閑静な地域で緑も多く低層住宅が立ち並ぶ住宅地であり、特に、七五番土地の周辺地には、中高層建築物は本件建物以外に存在せず、時々、名鉄瀬戸線の走行音が聞かれるほかは、道路を走る車も少なく、極めて閑静である。尤も建築基準法上はヤトウ病院敷地(七五、七六、一〇五ないし一〇七番の各土地)の一画及びこれと名鉄瀬戸線に囲まれた一画は、近隣商業地域の指定を受けているが、瀬戸線の南側のうち、右二区画を除く全域は住居地域もしくは第二種住居専用地域の指定を受けており、その線引きが極めて不自然で、原告ら居住地は、本来、住居地域たる性質を有しているのに、ヤトウ病院敷地を商業地域とするため、近隣商業地域の指定を受けるに至ったものといわざるを得ない。したがって、本件において、原告ら居住地は、地域性として住居地域に準じた評価を受けるべきである。

(三) 被告らは加害回避可能性を有していた。

別紙図面(二)表示の五筆の土地は一体としてヤトウ病院の病院敷地に利用されているが、その利用状況をみるに、一〇七番土地上には木造瓦葺平家建の職員宿舎と木造トタン葺平家建の結核病棟が存するが、前者は簡易建物で全く使用されておらず、後者は、荒廃しきった建物で非衛生的、非健康的な病室であって、わずか一部屋のみが病室として利用されているような状態である。一〇五番土地上には、職員宿舎、職員集会所が存するが、いずれも古い木造瓦葺建物で、殆んど使用されていない。一〇六番土地上には箭頭基継所有の建物が存するが、同人は勿論、何人も使用していないのである。さらに、別紙図面(一)のとおり、これら病院敷地として利用されている各土地の道路をはさんで東側には、被告箭頭正男、箭頭正顕及び同被告の妻箭頭鈴子の所有する四筆の土地(合計坪数六八五坪)があり、特に、守山区大字小幡字西新七九番、同所一〇二番、同所一〇三番の土地上には建物がなく、更地ないし雑木林として放置されているのである。

これらの事実によれば、被告らにおいて病棟の増築を余儀なくされる何らかの理由、必要があったとしても、一〇五番ないし一〇七番の各土地上の木造建物を整理すれば、容易に、広大な増築用の敷地を確保し得る状態にあったのであるから、敢えて、本件のように原告らの居住家屋に隣接して北側ぎりぎりに四階建建物を建設する必要は全くなく、したがって、原告らに被害を与えることはこれを容易に回避し得たところである。しかるに被告らは、かかる回避の可能性、回避のための措置について一顧だにせず、病院南側の自分らが所有する広大な敷地内ではさんさんたる太陽の光を充分すぎる程享受する一方、病院北側に位置する原告ら居宅から日照を奪い、厳しい寒さと陰うつな生活を余儀なくさせている。

(四) 被告らは原告らとの折衝につき不誠実、強圧的、欺まん的態度に終始した。

原告らは、被告らに対し、工事進行中再三にわたり工事方法を改善するように申入れたが、被告らは、これに応ずることなく工事を強行したばかりか、完成後も原告ら地域住民の被害についての話合いの機会を求める真摯な要求を拒絶し、剰え、これに罵倒を浴びせ、何らかの解決を得ようとする住民の要望を無視する態度を示した。昭和四九年一月ころ、被告らは、一応話合いに応ずる素振を見せながら、原告らの具体的な解決案に対し、全く誠意示さず、何らの回答をしないまま、じんぜんとして半年近くを経過させ、本件問題の重要性と被害の深刻さに目をおゝい、近隣住民への配慮を忘れた自己本位な倣慢な姿勢に終始した。

(五) 被告ヤトウ産業は不動産の売買賃貸、自動車の売買及び医療に付帯する事業を行う営利を目的とする会社である。また、被告箭頭正男はヤトウ病院の経営者であるが、同病院は多額の費用を支出して、積極的に宣伝をしているのであり、被告らが旧病舎を取毀して本件建物を建築したことは、病院の入院施設を拡大して入院患者数の増加をはかり、ひいては病院収入の増加を目的としたものであり、専ら採算性に重きを置いてなされたものというのほかはない。

(六) 以上要するに、本件において原告らに加えられた工事中の騒音、振動による平穏な生活に対する侵害行為及び本件建物建築による日照阻害行為、プライバシー侵害行為、テレビ電波への妨害行為はいずれも原告らの社会生活上受忍すべき限度をはるかに超える違法な行為であり、ひいては原告らの人格権及び物権的諸権利に対する著しい侵害行為である。

6(一)  本件建物の建築現場と原告ら居宅とが、わずか五メートルの道路をはさんでしか離れていない状況で打壊し工事を行ったり、道路に長時間ミキサー車やポンプ車を置いてコンクリート打工事を行う場合は、これら作業による騒音、振動特にミキサー車、ポンプ車のエンジン音が著しく、原告らの日常生活の平穏を破壊し、或いは静ひつなるべき精神生活を害するに至るべきことは容易に予想されることである。このように、工事の施工が明らかに隣人に損害を与えることが予想されるような場合には、工事の注文者としても、損害防止のための相当設備をなすべきことを請負人に指示する義務を有するものであるところ、本件において被告らは請負人に何らの指示をしていないのである。特に、原告吉田義孝は昭和四八年七月下旬頃ミキサー車の夜間作業の騒音にたえかね、工事人に対し抗議を行ったことがあったのであるから、被告らの委任に基づいて毎日現場に出入して工事に指示を与えていた箭頭正顕は、近隣に被害が生じていることを充分に知り、または知り得る状態にあったにかかわらず、被害の発生を軽減または防止する何らの指示をしなかったものであり、被告らに重大な過失があったことは否定できない。

よって、被告らは本件工事中における騒音振動による前記原告らの被害につき民法七一六条但書、七一九条一項前段による損害賠償義務がある。

(二) 被告らが本件建物を所有していることは前記のとおりであり、ひっきょう、被告らは本件建物を建築所有していることによって、前述のように原告らの享受し得べき日照権、プライバシーを侵害し、またテレビの受信妨害を惹起させているものというべきところ、被告らに故意または過失があることは前記各事実に照らし明白である。すなわち被告らはそれぞれ本件建物を共同、かつ、一体として建築して所有し、共同して原告らに対し右被害を与えているのであるから、被告らは、民法七一九条一項前段により損害賠償義務がある。

7  被告らの本件加害行為により原告らの蒙った損害は次のとおりである。

(一) 原告森英三、同君子の損害

(1) 右原告らの受けた被害は前記のとおりであり、特に日照の阻害により、原告森英三宅南側五畳の間は暗く、寒く、居室として使用に耐えられない状態となり、また、庭の日当りも極めて悪く、洗濯物も乾かず、知人宅にて干させてもらっている状態である。

また、原告君子は、右の如き暗く寒い居室での起居に耐えられず、神経痛を起し、床に伏せるようになり、工事時の騒音等による精神的疲労も加わって、神経の異常を来し、理解できないことを述べて町をはいかいする始末であった。原告英三は医師の勧めもあって、日当りの良い場所への転居を余儀なくされ、昭和四九年一〇月七日代金一、三五〇万円にて分譲マンションを購入し、同マンションへ原告君子だけを転居させるに至った。

右原告らの蒙った精神的苦痛に対する慰藉料は、原告森英三につき金一三〇万円、同君子につき金七〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告森英三につき金一三万円、同君子につき金七万円

右原告らは、本件被害につき被告らに対する損害賠償請求に関する一切の行為を弁護士冨島照男、同清水政和、同成田清に委任し、手数料及び報酬として右原告ら各損害額の一割を支払うことを約した。

(二) 原告棚橋弘、同やよい、同亡つの損害

(1) 右原告らの受けた被害は前記のとおりであり、特に、亡棚橋つ宅においては、本件日照阻害により、南側五畳間は暗く、寒く、昼間においても電灯を必要とし、晴天日においてもガスストーブとこたつによる暖房を必要とするに至った。亡つは、当時、八〇才の高齢であるところから、寒い部屋で生活することのないよう注意を受けていた矢先に本件建物が建築され、ために、日照の阻害により健康を害し、日当りの良好な部屋での生活を希求しつつ昭和五一年六月二一日死亡するに至った。亡つは被告らの本件加害行為により多大なる精神的被害を蒙り、これを慰藉するための慰藉料は金七〇万円が相当であるところ、原告弘は相続により亡つの地位を承継した。

また原告弘は亡つの居宅及び原告森英三に賃貸している居宅を所有しているが、被告らの本件建物建築により右各居宅は日照を奪われ、居宅としての建物価額及び敷地価格は著しく下落するに至り、居宅としての利用収益権を含む建物の所有権及び同敷地の賃借権を侵害されており、その減価額は金一〇〇万円を下らない。仮に右価値下落額が正確に算出されないとしても、自己の所有建物が居宅としての効用を失ったことにより、原告弘は困惑、不安による精神的苦痛を蒙っているのであり、このような精神的被害を慰藉するためにも慰藉料を請求し得るものと解すべく、右金額は金一〇〇万円が相当である。

原告やよいは被告らの本件加害行為により、多大な精神的損害を蒙り、これを慰藉するための慰藉料は金二〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告棚橋弘につき金一七万円、同やよいにつき金二万円

右原告らは、本件被害につき被告らに対する損害賠償請求に関する一切の行為を前記弁護士に委任し、手数料及び報酬として右原告ら各損害額の一割を支払うことを約した。

なお、原告弘は亡つの死亡により同人の弁護士費用支払義務を相続により承継した。

(三) 原告久村誠一、同弘美、同八重子、同美子、同浩彰の損害

(1) 右原告らの被害は前記のとおりであり、一階南側洋間、二階六畳の間ともに、冬期は、暗く、かつ、寒く、居宅として使用することが困難となった。一階の洋間は原告美子、同浩彰の勉強部屋として使用されて来たが、成長期にある同原告らに対し、右のような日照阻害が重大な悪影響を及ぼすことは言うまでもない。二階居室は原告八重子が使用して来たが、当年六八才になる原告八重子にとっては冬期、日照のない部屋での生活は全く耐えがたいものと言うべきである。原告誠一は右居宅及び敷地を所有しているが、住居の重要な要件である日照が失われるに至り、現状のままでは住居として使用できず、また、建物及び敷地の価格は著しく下落するに至った。もし、右敷地内において、日照を確保できるようにするには、右居宅を北方向へ移築するを要し、同原告は莫大な費用を支出しなければならないことになろう。次に、原告弘美は工事中の激烈な騒音、振動に耐えかねて約一か月入院するに至り、原告八重子も騒音、振動により心身ともに疲労し、昭和四八年一一月より翌年一月まで右居宅より弟宅へ避難せざるを得なかった。

以上のとおり、右原告らの損害は甚大であり、その精神的苦痛を慰藉するための慰藉料として原告誠一につき金一五〇万円、同八重子、同弘美、同美子、同浩彰につき各金三〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告誠一につき金一五万円、同八重子、同弘美、同美子、同浩彰につき各金三万円

右原告らは、本件被害につき被告らに対する損害賠償請求に関する一切の行為を前記弁護士に委任し、手数料及び報酬として右原告ら各損害額の一割を支払うことを約した。

(四) 原告渡辺和雄、同千代子の損害

(1) 右原告らの被害は前記のとおりであるが、原告和雄は原告佐藤圭司らが居住する建物の所有者でこれを社宅として使用しているが、本件建物のため、冬期の日照が全く得られなくなり、右建物の居宅としての利用価値は決定的に減損し、そのため、将来において居宅として十分使用するためには、右家屋を敷地北方へ移転させる必要があり、莫大な費用を要するのである。

以上のように原告和雄、同千代子は被告らの本件加害行為により著しい精神的苦痛を蒙っており、右苦痛を慰藉するための慰藉料は原告和雄につき金一〇〇万円、同千代子につき金一〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告和雄につき金一〇万円、同千代子につき金一万円

右原告らは、本件被害につき被告らに対する損害賠償請求に関する一切の行為を前記弁護士に委任し、手数料及び報酬として右原告ら各損害額の一割を支払うことを約した。

(五) 原告佐藤圭司、同房代、同孝宏、同美穂の損害

(1) 右原告らの被害は前記のとおりであるが、特に原告圭司、同房代夫婦は、三才の原告孝宏、二才の原告美穂の幼児をかかえ、日照がないために、冬期は、冷たく、暗い部屋での生活であるため、終日電灯をつけ、ストーブをたき、こたつを入れていなければならない。子供らは家で日光浴をすることなどは勿論できず、公園に連れていって日光浴をさせているような状態である。このような劣悪な居住環境が子供の健康に対し悪影響を与えることは明らかであるので、右原告ら夫婦としては現住所を出て、日照のある建物へ転居したいというような、追いつめられた気持になっている。

右原告らの蒙っているこのような多大の精神的損害を慰藉するための慰藉料は、原告圭司、同房代に対して各金三〇万円、同孝宏、同美穂に対して各金五〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告圭司、同房代につき各金三万円、同孝宏、同美穂につき各金五万円

右原告らは、本件被害につき被告らに対する損害賠償請求に関する一切の行為を前記弁護士に委任し、手数料及び報酬として右原告ら各損害額の一割を支払うことを約した。

(六) 原告端山静夫、同幾子の損害

(1) 右原告らの被害は前記のとおりであるが、特に右原告らは昭和一三年ころから三五、六年近く現住所に居住し、いずれも七〇才を超える老境に達し、静穏な日常生活を過していたところ、本件建物建築後は付近の環境が一変し、冬期の日照阻害による居住性の悪化は勿論、屹立する本件建物による心理的圧迫感、入院患者によるのぞき見の不安感、さらにはテレビの受信障害、等による精神的苦痛は著しいものがあり、これに工事中の騒音、振動等により蒙った被害を加えると、これらを慰藉するための慰藉料は原告静夫につき金一〇〇万円、同幾子につき金七〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告静夫につき金一〇万円、同幾子につき金七万円

右原告らは、本件被害につき被告らに対する損害賠償請求に関する一切の行為を前記弁護士に委任し、手数料及び報酬として右原告ら各損害額の一割を支払うことを約した。

(七) 原告水野林平、同ウメノ、同行雄、同知司、同吉田義孝、同敏子、同凉、同淳の損害

(1) 右原告らは、いずれも本件建物の北側四〇メートル以内の距離に居住しており、前記のとおり工事中の騒音及び本件建物の窓からの観望により平穏な生活を侵害され、多大の精神的苦痛を受けており、これを慰藉するための慰藉料は各原告につき各一〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

各原告につき各金一万円

右原告らは、本件被害につき被告らに対する損害賠償請求に関する一切の行為を前記弁護士に委任し、手数料及び報酬として右原告ら各損害額の一割を支払うことを約した。

8  よって、原告らはそれぞれ被告ら各自に対し、共同不法行為による損害賠償として、請求の趣旨記載のとおりの各金員とこれに対する昭和四九年一月一日以降各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)の事実は認め、同(二)の事実中、原告棚橋弘がその主張する居宅を所有している事実及び棚橋つが昭和五一年六月二一日死亡し、原告弘が相続によりその地位を承継したことは認めるがその余の事実は不知、同(三)の事実は認め、同(四)の事実中、原告渡辺和雄がその主張する居宅及びその敷地を所有し、原告和雄、同千代子がその主張どおりの居宅に居住している事実は認めるが、その余の事実は不知、同(五)、(六)の事実はいずれも認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実中、本件工事が早朝から深夜にわたり連日工事が継続されたとする点は否認し、その余の事実は認める。

4(一)  同4の(一)の事実中、本件建物の工事が昭和四八年二月ころから同四九年二月ころまで行われたこと及び本件工事に不可避の機械音、振動が発生したことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件工事に伴う騒音、振動は、その性質、期間、規模等からみていずれも社会生活上許容されたものであり、生活を脅かすなどというものではなく、受忍限度をいささかも超えるものではなかった。

(二) 同4の(二)の事実は否認する。

本件建物の窓にはブラインド設備が設けてあり、原告らの居宅が常に観望されるという事実はない。

(三) 同4の(三)の事実は否認する。

(四) 同4の(四)の事実中、本件建物のため原告らの一部の者に若干の日照阻害が発生したことは認めるが、その余の事実は否認する。

本件建物建築工事以前においても、本件建物の敷地上には高層建物(以下旧建物という。)が存在し、旧建物は次のようであった。

(1) コンクリート三階建(塔屋付)のものは、高さ一〇・四メートルの部分が東西の幅七・五メートル、高さ一五メートルの部分が東西の幅五・四メートルある。この旧建物部分の北縁はその北側にある公道南端から約五・八メートル南へ寄った位置にあるものである。

(2) コンクリート四階建のものは、高さ一九・七メートルの部分が東西の幅八・五メートル、高さ一四・七メートルの部分が東西の幅一二メートルある。この旧建物部分の北縁は北側にある公道の南端から約一五メートル南へ寄った位置にある。

(3) 本件改築工事のため取毀しとなった木造二階建の看護婦宿舎はその東端が(1)の旧建物に接し、高さ七・三メートルの部分が東西の幅二二メートルあり、前記の公道の南端に沿った位置にあった。

右旧建物による若干の日照阻害はあったものと思われるが、原告らから特に苦情はなかった。本件改築工事は、主として右(3)の木造二階建看護婦宿舎を取毀した部分に行われたものであるが、その建物規模は右(1)、(2)の旧建物と差があるものでなく、また駐車場確保のため約三・九メートル公道(幅員五メートル)から控えて建てられているものである。したがって、日照に若干の変化を与えたとしてもその度合は過大なものではない。

5(一)  同5の(一)の主張は争う。

(二) 同5の(二)の事実中、原告ら居住地域が低層住宅の立ち並ぶ極めて閑静な住宅地であるとする点は否認し、その余の事実は認める。

原告らの居住する地域は名鉄瀬戸線に近く、上下線とも走行している電車数は多く、その電車が吹鳴する警笛及び踏切の警報で相当量の騒音が絶えない。

(三) 同5の(三)ないし(五)の事実は否認する。

(四) 同5の(六)の主張は争う。

なお、本件建物は病院の有する社会的使命の一つである緊急医療体制を維持しつつ今日的な医療を行う必要に迫られて建築されたものである。

6  同6の(一)、(二)の主張はいずれも争う。

7  同7の(一)ないし(七)の主張はいずれも争う。

8  同8の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の(一)の事実、同(二)の事実中、原告棚橋弘が別紙図面(一)の①②③の居宅を所有していること及び棚橋つが昭和五一年六月二一日死亡し、原告弘が相続によりその地位を承継したこと、同(三)の事実、同(四)の事実中、原告渡辺和雄が右図面⑤⑥の居宅二戸及びその敷地を所有し、右⑤の居宅に原告和雄と同千代子が居住していること、同(五)、(六)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

《証拠省略》を総合すれば、原告棚橋弘は昭和一九年ころから妻原告やよいとともに別紙図面(一)の③の居宅に居住し、原告亡棚橋つは昭和四二年ころから同図面②の居宅に居住し、原告渡辺和雄は昭和二九年ころから妻原告千代子とともに同図面⑤の居宅に居住し、同⑥の居宅は社宅とし、右渡辺和雄の従業員である原告佐藤圭司が昭和四六年以前から、その妻原告房代は同年一〇月から、長男同孝宏(昭和四七年八月生)、長女同美穂(昭和四八年九月生)とともに居住していること、そして原告らの居住する各建物と本件建物の位置関係は別紙図面(一)のとおりであることが認められ、他にこれを覆すに足る証拠はない。

二  請求原因2の事実及び同3の事実中本件工事が連日早朝から深夜にわたり継続されたとする点を除くその余の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

三  工事中の騒音、振動による被害の程度

《証拠省略》を総合すると、本件建物の建築工事につき主たる騒音、振動源と認められるものは後記認定の旧病舎の取毀し作業、ミキサー車・ダンプカー・ポンプ車の走行及びコンクリート打設作業のためのエンジンであり、本件工事期間中、これらが発する騒音、振動は相当程度に達し、近隣の静ひつを乱したことは容易に推認し得るところであるが、測定が行われていないのでその程度を具体的に確定することはできず、また、本件においては、この種工事のもっとも大きい騒音、振動源となり易いパイルの打込み工事は施工されておらず、一日の作業も概ね、午前八時ころから午後五時ないし六時ころまでの日中に限ってなされ、ただ、コンクリートの流し込作業及び内装工事を施工した際に、例外的に夜間にわたることがあったが、これら作業では、さしたる騒音、振動は発生せず、そのほかの作業は夜間に及ぶことがなかったことが認められ(る。)《証拠判断省略》前掲久村誠一、同久村八重子の各尋問の結果中には、本件工事中の騒音、振動により原告久村誠一宅では当時中学一年生と小学校五年生の子供らは学習できる状態でなかった旨、原告誠一の妻同弘美は従前、罹患していた自律神経失調症が重くなり一か月入院した旨、母同八重子は昭和四八年一一月から同四九年一月はじめまで原告誠一の弟宅へ避難した旨、ダンプカーのはげしい往来により玄関前のコンクリートが割れた等の供述があり、前掲森英三の尋問の結果中には、夜眠れなかった旨、同人の妻は精神異常をきたした等の供述があり、前掲端山静夫の尋問の結果中にも夜間工事により睡眠を妨害されたとの供述があり、前掲吉田義孝の尋問の結果(第一回)中には、思考の中断、研究の妨害があった旨の供述があるが、勉学、研究の妨害、思考の中断、睡眠の妨害等についてはこれらは本来、主観的要素に左右され易いものであるうえ、全工事期間にわたってのものであるか或いは一時的なものか明らかでなく、また玄関のコンクリートの損傷、自律神経失調症による入院、一時期の避難、精神異常をきたした等の点については、右原告らの供述のみによって直ちにこれらと本件工事との間の相当因果関係の存在を肯認することは困難である。

四  原告ら宅に対する観望の程度

《証拠省略》によれば、本件建物の三階以上の病室等の北側窓からは原告ら宅を望見することができ、前掲甲第六号証の一、第七号証、原告棚橋弘、同久村八重子、同佐藤房代の各尋問の結果中には、同原告ら居宅の南側はいずれも本件建物の病室から観望され、カーテンを閉めたり、あるいは窓を閉めたりして病室からののぞき見に対処している旨の供述あるいは記載部分があるが、病院関係者或いは入院患者らにより、故らに同原告の居宅が観望されたり、或いは、そのおそれがあることを認めるに足る証拠はなく(原告佐藤房代尋問の結果によれば、同原告居宅がこれまでのぞき見されたことはない事実が認められる。)またその余の原告らの観望されることによる被害については、同原告ら居宅に接近して屹立する本件建物は同原告らに対し心理的に圧迫感を抱かせることは容易に推認し得るところであり、それが一因となって、同原告らは本件建物の存在そのものに嫌悪と不安感を抱いていることは推認するに難くないが、それ以上に、原告ら居宅が、どのような状況下で、どのようにして観望されるかの具体的事実を認めるに足る証拠はない。一方《証拠省略》によれば、本件建物の北側の窓には開閉式のブラインドが設置されていることが認められる。

五  テレビ受信障害の程度

《証拠省略》によれば、テレビ受信障害について、原告吉田義孝宅を除くその余の原告ら宅では特に中京テレビ放送の映像に支障があることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

六  日照被害の程度

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

1  本件建物建築以前においては、別紙図面(一)のとおり、原告らが居住する敷地の南側に幅員四・三三メートルの公道を隔てて二階建木造建物一棟(病室と給食施設に使用されていた。)(原告主張の旧病舎がこれである。)がほぼ公道に接して建っており(同図面点線で囲んだ部分)、その東南側に右建物に接して鉄筋コンクリート三階建塔屋二階の建物が、また右二階建建物の西南側には鉄筋コンクリート四階建塔屋三階の建物があって、これらが一体としてヤトウ病院の病院施設として使用されていた(被告主張の旧建物。)。本件建物は、旧建物のうち旧病舎を取毀しその跡に、北側部分は旧病舎の位置より若干南側に控えて建てられた(公道から約三・七五メートル南側)(尤も一階庇部分((同図面青線部分))が出張って公道のほぼ南側に接している。)鉄筋コンクリート造地下一階地上四階塔屋一階の高さ約一三メートル、東西約四〇メートルの建物(同図面赤線で囲まれた部分)である。

2  原告らが居住する建物の位置関係は前記のとおり別紙図面(一)のとおりであり、原告らのうち端山、佐藤、久村、森、亡棚橋つの居住建物は同図面のとおり、本件建物の北側の公道にほぼ南接して東西に並んでいる。

3  冬至における日影状況は、別紙図面(三)(本件建物の場合)及び同図面(四)(旧建物の場合)のとおりであり、原告ら各居宅の日照被害の程度は次のとおりである。

(一)  原告亡棚橋つの被害

亡棚橋つ宅においては、その主要開口部である南側五畳間は、旧建物が存在した当時冬至の午前一〇時ころ中央塔屋の、午前一一時ころ西側煙突の影が一時通過して日影となるが、それ以外は旧建物による日影は生じなかったところ、本件建物建築後は、冬至の午前九時から正午までは完全に本件建物によって日影になり(なお、その後西側から徐々に回復に向うが午後二時ころには再び西側隣家の日影に入る。)、一〇月ころから二月ころまで本件建物によりほぼ午前中の日照が奪われることになった。

亡棚橋つ宅は冬期においては昼間でも点灯しなければならなくなり、晴天の日でも室温は低く、常時、ガスストーブとこたつによる暖房を必要とする状態であった。同女は当時、八〇才の高齢で、昭和五〇年頃病気をしたこともあったが、その後も、右居宅で生活していた。

(二)  原告森英三、同君子の被害

右原告ら宅においては、その主要開口部である南側五畳間は、旧建物が存在した当時、冬至の午前一〇時から同一一時にかけて一時中央塔屋の影が、また、正午すぎころ西側煙突の影が一時通過して日影となる以外は、旧建物による日影は生じなかったが、本件建物建築後は、冬至の午前九時から午後一時までは完全に日影となり、その後徐々に回復し午後二時ころからようやく本件建物の日影から脱して日照を受けることができるものの、その後再び隣家の日影に入り、一一月ころから一月ころまでは本件建物により午前九時から午後二時ころまで日照を奪われることになった。そのため右原告ら宅においても冬期は部屋が暗く、室温も低く、庭の日当りも悪く洗濯物も乾かない状態である。

(三)  原告久村誠一、同弘美、同八重子、同美子、同浩彰の被害

右原告ら宅は、旧建物が存在した当時は、一階の主要開口部の南側の洋間において、冬至の午前九時から同一〇時にかけて東塔屋の影に入っているが、午前一一時には回復し、その後は一時中央塔屋及び西側煙突の影が通過するのみで、それ以外は右居室においては旧建物による日影はみられず、また、二階の六畳間においては、午前九時ころ東塔屋の影が、正午ころ中央塔屋の影が、午後二時ころ西側煙突の影がそれぞれ一時通過するのみで、その他は全く旧建物による日影は生じなかった。本件建物建築後は、一、二階とも、冬至において終日日影となって全く日照を受けることができず、二階居室においては一一月ころから一月ころまで、一階南側洋間においては一〇月ころから二月ころまでいずれも終日日照を受けることができない状態である。右原告ら宅においては二階の和室を原告誠一の母である原告八重子が使用し、その余の原告らは一階を使用しているが、冬期においては部屋は暗く、また室温も低く、常時、電気ストーブ、石油ストーブ等の暖房を必要とする状態である。

(四)  原告佐藤圭司、同房代、同孝宏、同美穂の被害

右原告ら宅においては、その主要開口部である一階南側四畳半間、同二階南側六畳間とも、旧建物が存在した当時は、冬至の午前九時ころまでは日照があり、午前九時から同一〇時にかけて東塔屋の影が通過するが、午前一一時から正午までの間は一、二階とも日照があり、午後一時には中央塔屋の影が一時通過するが、午後二時には一、二階とも日照があり、午後三時になると二階部分のみ日照がある状態となるが、本件建物建築後は、一、二階とも冬至において終日日照を受けることができず、二階居室においては一一月ころから一月ころまで、一階居室においては一〇月ころから二月ころまでいずれも終日日照を受けられない状態である。右原告ら宅においても冬期は部屋が暗く、終日電灯を必要とし、また室温も低いためストーブとこたつを併用しなければならず、本件建物建築直後のころは、原告孝宏、同美穂を公園に連れていって日光浴をさせるような状態であった。

(五)  原告端山静夫、同幾子の被害

右原告ら宅においては、旧建物による日影状況は、冬至の午前一〇時までは日照を受けることができ、午前一一時ころ開口部の西側和室六畳間の全部及び同東側和室六畳間の一部が日影となるが、その前後の時間は南側開口部のいずれかの部分に日照があり、その後午後一時ころから日影にかかりはじめ、午後二時以降再び全く日照が得られない状態となる。本件建物建築後は、冬至の午前一一時すぎころ以降終日完全に日影に入り、一一月から一月まで一一時すぎころ以降の日照を失うことになった。原告らは、いずれも年令七〇才を越す老人であり、冬期の室温は日中でも低く、そのため一日中ストーブで暖をとらねばならず、室内が暗いため、日中でも電灯を要する場合があり、また同人らは庭いじりを楽しみの一つとしていたが、庭木の生長も悪くなってしまった。

七  地域性

《証拠省略》によれば、本件建物の敷地は、名鉄瀬戸線瓢箪山駅より直線距離にして約六〇ないし七〇メートル南東の位置にあり(右敷地の北方約五〇メートルを名鉄瀬戸線が東西に走っている)(この点は当事者間に争いがない。)、原告ら居住地は本件建物と名鉄瀬戸線との間に位置しているヤトウ病院敷地の北部及び原告ら居住地は、建築基準法上は、近隣商業地域の指定を受けている(原告ら居住地が近隣商業地域の指定を受けていることは当事者間に争いがない。)が、名鉄瀬戸線の南側の字西新のうちで、近隣商業地域の指定を受けているのは非常に狭い範囲の右二区画のみであって、その他の周辺地域は、すべて住居地域ないし第二種住居専用地域の指定を受けている。本件建物の敷地及び原告ら居住地の周辺は、現況、住宅地域を形成しており、時々瀬戸線の電車の走行音が聞かれるほかは交通量も少なく閑静な地域であり、付近一帯には殆んど高層住宅は見られず、平家ないし二階建の一般住宅が多いことが認められ、これに反する証拠はない。

八  加害回避の可能性

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。《証拠判断省略》

1  本件建物の敷地である七五番・七六番の土地及び七五番に南接する一〇七番の土地は被告箭頭正男が(なお登記簿上は七五番の土地は七五番一、二に分筆され、七五番一は被告箭頭正男の所有名義、同番二は被告箭頭産業の所有名義となっている。)、七六番に南接し、一〇七番の東側に接する一〇五番の土地を箭頭正顕が、右一〇五番に南接し、一〇七の東側に接する一〇六番は被告正男の次男である箭頭基継がそれぞれ所有しており、右一画の土地は一体としてヤトウ病院の病院敷地として利用されている(以上の点は当事者間に争いがない)。なお、これら五筆の土地の位置、本件建物との位置関係等の大略は別紙図面(二)に示すとおりである。

2  右一画の土地上には別紙図面(一)のとおり、本件建物の南側には各木造瓦葺平家建の職員宿舎二棟、職員集会所一棟、箭頭基継所有の居宅一棟及び木造トタン葺平家建の結核病棟一棟がある。右のうち職員宿舎二棟はいずれも簡易な建物であり、ほとんど使用されている形跡が認められず、職員集会所もほぼ同様で使用されている形跡はほとんど認めることができず、また結核病棟は昭和一九年ころ建築されたもので老朽化が著しく、実際に使用されているのは、ごく一部分にすぎない。箭頭基継所有の建物には現在、同人が居住しているとは認められず、当時、居宅として使用されていたかどうかは明らかでない。

3  前記一画の土地の他に別紙図面(一)のとおり公道をはさんで東側にも七九番、一〇二番、一〇三番、一〇四番の土地があり、七九番は被告箭頭正男の妻鈴子が、一〇二番、一〇三番は箭頭正顕が、一〇四番は被告箭頭正男が所有し、現在空地となっている部分が存在する。

4  このように、被告箭頭正男及びその妻子は、旧建物の南側にこれに接して相当広く、かつ、余裕のある土地を有していたのであるから、原告らに対する日照被害を回避し、ないしは軽減する一つの措置としては、本件建物を旧病舎の取毀し跡地或いは敷地の北側部分に建てるのではなく、南側土地をも、病院敷地として、合理的に再開発する見地から、同地上所在の前記職員宿舎二棟、職員集会所、結核病棟等の配置、移転、除去等につき有効適切な処置を講じ、そのうえで隣地に対する日照阻害を防止、軽減するため、公道より相当南に下げて新築したり、或いは構造を変更したりする方法が考えられ、また、このような配置変更、設計変更は技術的にも経済的にも十分可能であると認められる。

九  先住関係

前記二で認定したように、本件建物は、昭和四八年二月ころ工事に着工し、同四九年二月ころ完成したものであるが、《証拠省略》によれば、原告吉田義孝方は昭和一二年ころから、原告水野林平方は昭和一九年ころから、それぞれ現在地に居住していることが認められる。また、原告森英三方は昭和一六年ころから、原告棚橋弘方は昭和一九年ころから、同つは昭和四二年ころから、昭和五一年六月二一日死亡するに至るまで、原告久村誠一方は昭和三三年ころから、原告渡辺和雄方は昭和二九年ころから、原告佐藤圭司方は昭和四七年以前から(なお、同美穂は昭和四八年九月出生)、原告端山静夫方は昭和一二年ころから、それぞれ、現住所地に居住していることは前記一で認定したところである。したがって、原告らはいずれも本件建物の建築前に各現在地に居住していたものであることが明白であるところ、右地域は現在においても、建物の高層化はさして進行せず、依然、低層住宅地のままであり、原告らの居住開始当時とそれほど変化なきものと認められるのであるから、原告らの先住利益は尊重されてしかるべきである。

一〇  原告らと被告らとの折衝経過

《証拠省略》を総合すると次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

1  原告らは、本件工事の着工にあたり被告らから本件建物の規模・工事内容につき、全く事前の説明を受けたことはなく、工事着工後、昭和四八年一二月ころまでの間に、原告吉田義孝が同年八月初旬ころ夜間工事の中止を申し込んだり、被告箭頭正男の経営するヤトウ病院に工事騒音について抗議の電話をするなど個人的に折衝をしたほか、格別、集団で被告らと交渉を持つことはなかったが、昭和四八年一二月九日ころ、テレビ受信障害問題の陳情署名簿が原告ら宅にまわったのをきっかけに、本件建物建築による被害について話し合うようになり、同日、被告正男方を訪れたが話合いをするまでに至らず、そこで原告水野林平、同吉田義孝、訴外永谷健三が発起人となり、「ヤトウ病院からいのちを守る会」という名称で署名運動及び市議会への行政指導の請願、被告らに対する抗議行動をとるようになった。

2  一方において、被告らの知合いである訴外喜多を通じ、被告正男と再度面会したい旨申込んだところ、被告らから、昭和四八年一二月二四日に会う旨の回答を得たが、結局被告らから、「岐阜の弁護士のところに来ているから面会できない。」との連絡を受け、ついに任意の話合いは実現しなかった。そこで原告らは、同年一二月下旬ころ原告ら訴訟代理人らに委任した。

3  原告らは、昭和四九年一月にいたり被害の実情を右原告ら代理人と共に個別的に整理し、同年二月一四日付の書面でもって、日照確保のため四階部分の撤去、被害の補償など八項目の要求事項を記載したうえ、これら要求事項につき同月二六日午後六時から原告水野林平宅で話合いの場をもちたい旨要求したが、これに対し被告らは、右話合の日時を同年三月二日に延期して欲しい旨回答するとともに、同年二月二六日名古屋地方裁判所に原告らが被告らに抗議するため設置した立看板の撤去を求める仮処分を申請し、同年三月二日の会合当日の午後にいたり、「仮処分の申請をしたため会合は断る。」旨の連絡をしてきた。

4  昭和四九年三月五日、原告吉田義孝と同水野林平は訴外箭頭正顕と話合った結果、ようやく、被告らは、同月一一日原告らとの話合いに応ずることを約し、同月八日原告らと被告らとの間で、三月一一日に話合いの機会をもつこと、原告らは仮処分申請のあった立看板を三月八日中に撤去すること等を骨子とする暫定的な合意をし、その旨覚書を作成した。三月一一日第一回の話合いが持たれた結果、被告らは原告らの個々の要求を検討することを約したので、原告らは、①「のぞき見」について、②電波障害について、③工事中の生活妨害について、④駐車場の問題について、⑤日照被害についての五項目につき具体的個別的な解決案を書面によって被告箭頭正男に交付した。これに対し被告側から同年四月二五日回答がされたが、解決にはほど遠いものであった。原告らは同年五月初めころ再度右解決案に対する具体的回答或いは代案を要求したが、被告らはこれに対し何らの回答をしなかった。

5  原告らは同年七月二七日再度書面をもって同様の催告を行ったところ、被告らは八月二八日に至り、日照阻害による慰藉料として、原告久村誠一に金二〇万円、同森英三、同棚橋弘、同渡辺和雄、同端山静夫に各金一〇万円を支払う旨の回答があったが、もとより、原告らの容れるところとはならなかった。原告らは同年九月一九日書面でもって被告らに再検討を要望したが、これに対して被告らの回答はなく、原告らはついに本訴を提起するに至った。

一一  不法行為責任

およそ日常生活における平穏、プライバシーの保護、日照、通風をはじめとする居住環境要素の確保は、健康で快適な生活の享受のために必要不可欠の生活利益であるから、この利益を享受していた者が、その利益を阻害されるに至った場合には、その阻害の程度が被害者において社会通念上受忍すべき限度を超えていると認められる限り、右侵害は違法といわねばならないいま、これを本件についてみるに、本件工事期間中、旧建物の取毀し作業、ミキサー車等大型車輛の走行、コンクリート打設作業により相当の騒音、振動があったことは認められるが、数値の測定がされていないためその程度を客観的に評価することができないこと、本件工事においては通常もっとも激しい騒音、振動を生ずるパイルの打込み工事は施工されていないこと、コンクリートの流し込作業及び内装工事については作業が夜間にわたることがあったが、その他の作業は午前八時ころから午後五時ないし六時までの間に行われたこと、本件建物の北側の窓には開閉式のブラインドが設置されており、原告ら宅が故に観望されないしは観望されるおそれがあるとは認められないこと、原告吉田義孝宅を除くその余の原告ら宅においてテレビ受信障害があるが、その程度が高いのは中京テレビ放送のみであること等の事実に照らすと、これら工事中の騒音、振動による被害、観望されることによる被害、テレビ受信障害については、社会通念上受忍の限度を超えたものと断ずることは困難である。しかしながら、日照被害については、原告亡棚橋つ宅においては、旧建物当時冬至の午前中に中央塔屋、西側煙突の影がそれぞれ一時通過するのみであったのが、本件建物建築後は冬至の午前九時から正午まで完全に日影となり、原告森英三宅においては、旧建物当時の日照は亡棚橋つ宅とほぼ同様であったのが、本件建物建築後は冬至の午前九時から午後一時まで完全に日影となり、原告久村誠一宅においては、旧建物当時一階南側の洋間は冬至の午前一〇時までは東塔屋の影に入っているが午前一一時には回復し、その後は中央塔屋、西側煙突の影がそれぞれ一時通過するのみであり、二階居室は東塔屋、中央塔屋、西側煙突の影がそれぞれ一時通過するのみでその他は日照を受けていたが、本件建物建築後は一、二階とも冬至において終日完全に日影となり、原告佐藤圭司宅においては、旧建物当時冬至の午後三時まで一、二階とも東塔屋、中央塔屋の影がそれぞれ一時通過する以外は一、二階とも日照があり、午後三時になると二階部分のみ日照がある状態となっていたが、本件建物建築後は冬至において終日完全に日影となり、原告端山静夫宅においては、旧建物当時冬至の午前一〇時までは日照を受けることができ、午前一一時頃西側和室六畳の全部及び東側和室六畳の一部が日影となるが、その前後の時間は南側開口部のいずれかの部分に日照があり、その後午後一時ころから日影にかかりはじめ、午後二時以降日影となっていたが、本件建物建築後は冬至において午前一一時すぎころ以降は終日完全に日影となり、右原告ら宅はいずれも冬期の室温は日中でも低く、そのため一日中暖房を必要とし、部屋は暗く日中でも電灯を必要とする状態であってその被害は少しとしないこと、本件建物の敷地及び右原告ら居住地は近隣商業地域の指定がされているがこのように指定されている部分は狭少な範囲にとどまり、周辺地域はすべて住居地域ないし第二種住居専用地域に指定され、かつ、原告ら居住地の周辺地域の現況は一般住宅の多い閑静な地域であって、附近には殆んど高層住宅はないこと、被告らにおいて建物の配置、構造を変更することにより右原告らに対する日照阻害を回避しえたのにその措置をとらなかったこと、右原告らはいずれも先住関係にあり、かつ、それは保護に値する先住利益であること、当事者間の折衝の経過においても被告らに誠意ある態度が見られないこと等の諸々の事情を彼此衡量すると、右原告らの受けている被害は、本件建物が病院として使用されていることを考慮してもなお社会生活上被害者が受忍すべき限度を超えるものと認められ、したがって、本件建物の西側部分を所有する被告ヤトウ産業と東側部分を所有する被告箭頭正男両名の権利行使は違法であり、また、本件建物と右原告ら宅との位置関係、叙上の当事者間の折衝の経緯からすれば、被告らは本件建物の建築により、前記原告らに対する日照妨害の発生することを予見し得べきであり、また、これによる損害発生を回避する手段を講ずべき注意義務があり、これを怠った点に過失があるというべきである。すなわち被告らには日照阻害の点につきそれぞれ不法行為の成立は否定できず、また、前記二で認定したとおり、被告ヤトウ産業は医療に付帯する事業をその目的の一つとし、被告箭頭正男らを取締役とする同族会社であり、その所有する本件建物の西側部分も本件建物の東側部分と一体として被告箭頭正男の経営するヤトウ病院の施設に供している事実からすれば、被告らは極めて緊密な結合関係にあり、被告ら間に関連共同性が存することは明らかであるから、被告らは共同不法行為者として原告らの蒙った損害を連帯して賠償すべき義務がある。

一二  損害

1  慰藉料

原告森英三、同君子、同亡棚橋つ、同久村誠一、同弘美、同八重子、同美子、同浩彰、同佐藤圭司、同房代、同孝宏、同美穂、同端山静夫、同幾子は、前記六で認定したとおり日照阻害による被害をうけ、それによって相当の精神的苦痛を蒙っていることは容易に推測できるところ、右原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は、それぞれ、被害の程度、家族構成、年令等本件に顕われた諸般の事情を斟酌して考えると、各金三〇万円とするのが相当である(なお、亡棚橋つの慰藉料は原告棚橋弘において相続した。)。

2  財産的損害

原告棚橋弘は別紙図面(一)の①②の建物を所有し、右各建物の日照被害により、その所有権及び敷地の賃借権を侵害されたとして金一〇〇万円の財産的損害の賠償を請求するが、右原告提出の証拠その他本件全証拠によるもいまだ右各建物及びその敷地の賃借権の減価額を認めるに足りないし、同原告は右各建物に居住しているわけではないから生活利益の侵害は受けておらず、単に財産的損害を受けたというにとどまるから、いまだ受忍限度を超えた被害があるとはいい得ない。

3  なお、原告棚橋弘は第二次的に、右各建物及びその敷地の賃借権の価値下落額が正確に算出されないとしても、これに伴う精神的苦痛を評価した慰藉料を、また、原告渡辺和雄は、(その所有する)別紙図面(一)の⑥の建物の日照阻害に基づく同趣旨の慰藉料を請求するが、右原告らは右各建物に居住しているわけではなく、その交換価値の下落分を慰藉料として請求するというにすぎないから、社会通念上受忍すべき限度を超えた被害を受けているとは認め難い。

4  弁護士費用

原告らが本件訴訟の遂行を本件訴訟代理人らに委任したことは、記録上明らかであり、《証拠省略》によれば、原告らは右委任の際手数料として金一五万円を支払ったこと、また前記代理人らとの間で、報酬として認容額の一割を支払う旨約していることを認めることができる。

ところで、本件訴訟の遂行には専門的な知識と技術を要することは明らかであり、原告らが本件訴訟の遂行を弁護士に依頼することは原告らの権利の伸長にとり必要やむを得ない措置であるから、右委任に伴う出捐は本件不法行為から通常生ずべき損害というべきであり、本件訴訟の性質、遂行の難易、請求認容額等諸般の事情を斟酌すれば、弁護士費用のうち被告らの負担すべき額は認容額の一割を基準として定めるのが相当である。よって、被告らが負担すべき弁護士費用は前記一二の1に認定した各原告らの慰藉料額の一割の金額をもって相当というべきである。

一三  結論

以上説示したところによれば、被告らは連帯して原告森英三、同君子、同棚橋弘、同久村誠一、同弘美、同八重子、同美子、同浩彰、同佐藤圭司、同房代、同孝宏、同美穂、同端山静夫、同幾子に対し各金三三万円及び右各金員に対する本件建物の建築の後である昭和四九年三月一日から各支払済みまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よって、右原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、同原告らのその余の請求及びその余の原告らの各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 可知鴻平 裁判官 松原直幹 高野芳久)

<以下省略>

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